大阪地方裁判所 昭和58年(行ウ)146号
原告
鈴木伝三郎
右訴訟代理人弁護士
秀平吉朗
被告
天王寺労働基準監督署長小松幸雄
右指定代理人
立花政雄
同
三原康広
同
平澤輝久男
同
宮本安正
同
松野寛蔵
同
寺川昭
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が、昭和五六年七月二四日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法による障害補償給付の支給に関する処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、有限会社信和商会に警備員として雇用され、大阪府泉北郡忠岡町新浜二丁目一番二〇号所在の朝日特殊合板株式会社忠岡工場に派遣されて警備業務に従事していたものであるが、昭和五四年二月四日午後八時二〇分ころ、同会社を巡回警備中、同会社の従業員らが合板工場の資材倉庫横でたき火をしていたのを火災と誤認し、社員寮に急報しようとして走ったときに、一回目は溝に落ちて転び腰部を強打し、二回目は段差につまずき、大の字に転んだ(以下「本件事故」という。)。その際、原告は、左足を捻挫し右上腕、右肘、左膝その他全身を強打し負傷した。
2 原告は、合板工場でたき火をすることは禁止されているはずであり、自分が転倒負傷したことを明らかにすれば、たき火をしていた従業員らが処分を受けることになりかねないと判断して、有限会社信和商会に対し本件事故の発生を秘し、同年五月一七日まで自費により、主としてマッサージと温泉療法を中心とする治療を続けた。
3 しかしながら、症状が治ゆしなかったので、原告は、同月一八日、杉本外科医院において診療を受け、その後同年九月二一日に至って再び右医院を訪ね、以後昭和五五年五月三〇日まで通院加療を受けたが、なお治ゆしなかったので、同医院の紹介で、同月三一日から昭和五六年五月三一日まで市立岸和田病院に通院し加療を受けたところ、同日症状が固定するに至った。しかし、その後も原告の症状は完治せず、右尺骨神経不全によるしびれ、右拇示指間制限、右肘・右手関節、左股・左膝・左足の運動制限等の後遺障害が残った。
4 そこで、原告は、被告に対し、労働者災害補償保険法にもとづき障害補償給付の請求をしたところ、被告は、昭和五六年七月二四日、原告の右残存障害は、労働者災害補償保険法施行規則別表第一に定める障害等級(以下「障害等級」という。)一四級(併合)に該当するとして、同等級相当額の障害補償給付を支給する旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。原告は、これを不服として、同年九月二九日、大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、昭和五七年一月二二日付で棄却され、同年二月二七日右棄却決定書の謄本の送付を受けたので、更に、同年四月八日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同年七月一五日これも棄却され、昭和五八年八月一八日、右裁決書の謄本の送付を受けた。
5 しかしながら、原告には、次のとおりの機能障害及び神経症状が残存しており、その後遺障害の等級は一四級を超えるものであるから、本件処分は違法である。
即ち、原告には、病名を右肘部及び左膝部挫創後遺症とする。
(一) 機能障害
右拇示指間制限のほか、別紙(一)上・下肢等関節角度測定表記載のとおりの可動領域の制限の障害
及び
(二) 神経症状
腰部から下の左足の常時疼痛並びに肘関節以下の右手及び薬指を除く右手指の常時しびれ
が残っており、以上の障害により、原告は、本件事故後全く就労できない状態にあり、また、長時間の歩行困難、正座・あぐらがかけない、右手指で物がつかめない、字がかけない、箸が使えないなど日常生活が不自由な状態である。
前記上・下肢関節角度測定の結果によれば、右手指の運動可能領域は、健側のそれの二分の一以下であり、右肘関節及び左膝関節の運動可能領域は、健側のそれの四分の三以下であるから、右手指の障害等級は一〇級六号に、右肘関節及び左膝関節の障害等級は一二級六、七号にそれぞれ該当し、結局、原告の障害等級は九級相当(併合)と認定されるべきものである。
6 よって、原告の後遺障害の等級認定を誤った本件処分は、取消されるべきものである。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1のうち、原告が左足を捻挫し、右上腕等全身を強打して負傷したことは否認し、その余は全て認める。
2 同2は不知。
3 同3のうち、原告の症状が完治しなかったことは否認し、後遺障害の部位及び状態については、後記のとおり争い、その余は認める。
4 同4は全て認める。
5 同5のうち、原告の病名が左膝部、右肘部各挫創後遺症であること及び原告が原告主張の神経症状を主訴することは認めるが、その余の事実は否認し、本件処分が違法であるとの主張は争う。即ち、
(一) 請求原因5(一)の運動障害は存在しない。けだし、原告の主張する別紙(一)上・下肢等関節角度測定表の結果は、被告が障害等級認定上の資料とするために、原告について行った関節運動可動域の測定結果であり、膝関節を除き全て自動測定による数値であるが、右角度測定後原告の主治医であった市立岸和田病院医師大橋良三から「原告は、対診時・診察時も力を入れて各関節を動かさなかったが、雑談中では正常に動いていた。膝、肘の挫創で原告が訴えるような障害が残存することは、医学的にみて考えられない。」旨の説明を受けているとおり、右測定値には原告の作為が介在し、真ぴょう性に欠けるものであり、のみならず原告の審査請求段階での鑑定人河村病院医師河村禎視も、「原告は、左膝関節運動検査時には左手を副えてわずかの自動運動しか行わず、他動領域を測定しようとすると意識的に抵抗を加える。衣服着脱時の運動は概ね正常。右示指も検査時屈曲しない。関節にも拘縮もなく腱損傷や神経障害を疑わせる所見もない。」旨鑑定している。
(二) 次に、請求原因5(二)の神経症状の程度と本件事故との因果関係は争う。けだし、右因果関係を医学的に証明しうるだけの他覚的所見に極めて乏しく、原告が大正五年一月一一日生れで高齢であり、右大橋医師によるリウマチ検査の結果がプラスであることを考慮すると、経年性のものないしリウマチによるものとさえ考えられ、或いは、原告の訴え自体作為的なものとまで考える余地もある。
(三) 以上の次第で、本件処分は、原告に有利な方向で、右神経症状を本件事故に起因する心因反応とし、障害等級を一四級九号と認定したものである。なお、鑑定人大石昇平は、原告の右上肢における残存障害の程度はレイノー現象を併せ考えれば準用等級として障害等級一三級七号に相当するというが、右七号の「一手の示指の末関節を屈伸することができなくなったもの」とは、(イ)遠位指節間関節が完全硬直又はこれに近い状態にあるもの、(ロ)屈伸筋の損傷等原因が明らかなものであって、自動的屈伸が不能となったものをいうものと解されるところ、原告の右示指の症状は、他動的には健側と同様の可動域があり、右拇示指によるマッチ棒等のつまみ動作も可能であって、同号の準用を受けるほどのものではありえない。
よって、本件処分は適法である。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1のうち、本件事故発生の事実、同3のうち、原告が杉本外科医院及び市立岸和田病院で治療を受け昭和五六年五月三一日に症状が固定するに至った事実、同4の本件処分及びそれ以降の不服申立の経緯、並びに、同5のうち、原告の病名が、左膝部及び右肘部各挫創後遺症であり、原告が腰部から下の左足の常時疼痛並びに肘関節以下の右手及び薬指を除く右手指の常時しびれ感を訴えている事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 右争いのない事実並びに(証拠略)、原告本人尋問の結果、鑑定人大石昇平の鑑定の結果と、弁論の全趣旨によれば、転倒した際の原告の負傷状況、杉本外科医院で初診を受けるまでの原告の状態、原告の後遺障害の部位及び程度等に関して、以下の事実を認めることができ、同認定を妨げる証拠はない。
1 原告は、本件事故当日、警備先の朝日特殊合板株式会社忠岡工場の社員寮に住む従業員や調理師たち四人が、同工場内の資材倉庫脇でたき火をしていたのを火事と誤認し、その瞬間に驚きの余り腰が抜けたような状態となったが、はうなどして社員寮に右事態を急報しようとしたため、途中段差のあるところや溝などで少くとも二回転倒し、その結果、左足を捻挫し、右肘、左膝、腰部など全身を打撲した。
2 その後、原告は、体に痛みが残っていたものの、大したことはなく自分で治せると思ったのと、合板工場でたき火をすることは禁止されているはずで、自分が転倒負傷したことを明らかにすれば、たき火をしていた前記従業員や調理師が処分を受けることにもなりかねないと判断したことから、右たき火の件を警備日報に記載せず、かつ、本件事故の発生を原告の雇用されている有限会社信和商会に連絡しなかった。そして、原告は、その後自宅でマッサージを試みたり、市販の湿布薬を患部にほどこすなどしたほか、日帰りで行くことのできる温泉をまわって療養につとめた。
3 原告は、本件事故後も出勤し、普段どおり警備業務に就いていたが、約三週間経過した昭和五四年二月二六日、退職するに至った。そして、原告は、その後二、三か月してから初めて有限会社信和商会の代表者に本件事故のあったことを打ち明け、その後昭和五五年五月一二日、天王寺労働基準監督署に対し、同商会から解雇された旨申告したが、同監督署は調査の上、同月三〇日、同商会に労働基準法一九条、二〇条違反の事実を確認しえなかったとして、右申告を処理した。
4 その後の原告の症状及び診断状況等は、次のとおりである。
(一) 原告は、岸和田市上野町所在の杉本外科医院において、昭和五四年五月一八日初診を受け、その際、杉本圓締医師から、「左膝部、右肘部に疼痛を、右前腕にしびれ感を、更に正座困難を訴えて来院するも、腫脹並びに膝蓋骨跳動を認めず。」との診断を受けて経過観察に付され、同年九月二一日に再び同医師の診察を受けたが、右初診時と同様の診断であった。しかし、原告がなおも頑固な疼痛及び右前腕部のしびれ感を訴えたので、同医師は、その後翌五五年五月三〇日までの間に八回通院してきた原告に対し、低周波療法を施行し、鎮痛剤を投与し、更には、自宅において温浴、マッサージを行うよう指導したりしたが、結局原告の右所訴は変わらなかったので、より専門家の判断を仰ぐため、原告を市立岸和田病院整形外科へ転医させることにした。
なお、同医師は、原告の病名を左膝部及び右肘部各挫創後遺症と診断している。
(二) 原告は、杉本医師の紹介により、同月三一日、市立岸和田病院において、同病院副院長で整形外科医の大橋良三医師の診断を受け、その際、同医師に対して、右肘を打ってから感覚鈍麻が起き、右手を胸の上に置いた状態でもしびれてくること、左膝など左下肢にしびれ、感覚鈍麻があること、正座ができないことなどを訴えた(但し、日常生活については一応さしつかえない旨のことも答えた)ところ、同医師は診察、レントゲン撮影、並びに血液検査、免疫学的検査及び生化学検査などを実施したが、原告の右手拇指球が萎縮していること、CRPテストの結果がプラスでリウマチ反応が出ていることの他には、何らの異常もみつからなかった。ただ、同医師は、原告の訴える右肘や薬指を除く右手指のしびれの原因として、右肘を打ったときに尺骨神経部分にゆ着状態ができ、トンネル症候群が惹起されたものと考え、その後再三通院する原告に対し、右ゆ着部分の剥離手術を勧めたが、原告がこれに応じなかったので、超音波療法、マッサージ療法を施すにとどまった。そして、同医師は、昭和五六年五月三一日、それまでの原告に対する治療経過からみてこれ以上治療を続けても効果が上がらないとして症状が固定するに至ったものと判断し、同年六月五日、原告の症状に関し、「<1>傷病名、左膝部挫創後遺症、右肘部挫創後遺症、<2>障害の部位、右上肢と左下肢、<3>障害の状態の詳細として、(ア)右尺骨神経不全による薬指を除く右手指尖及び尺骨内側上果のしびれ、(イ)右拇示指間距離の制限(左拇示指間一〇・五センチメートルに対し、七・五センチメートル)、(ウ)右手掌球の削痩、(エ)右前腕の削痩(左腕に比し周径が〇・五センチメートル細い)及び左大腿削痩(右大腿に比し周径が一・五センチメートル細い)、(オ)各関節の自動的運動範囲(別紙(二)上・下肢等関節角度測定表のとおり)、(カ)右肘、左膝はエックス線上変化強くなし、関節包が腫脹している程度、(キ)各指の運動は概ね正常、日常生活には自用を弁ずる、書字・執箸可能、<4>総合所見として、局所に神経症状を残す。」旨の診断書を発行した。
(三) 原告は、右大橋医師作成にかかる診断書をもとに、被告に対し、昭和五六年七月二日、労働者災害補償保険法にもとづき、障害補償給付の支給を請求したので、被告から調査を命じられた天王寺労働基準監督署の労働事務官吉田喜代一及び同川崎順平が本件の調査にあたることとなり、大橋医師作成の右診断書を徴し、原告から本件事故発生の経緯及びその所訴を聴取したほか、原告の体の上肢・下肢の各関節の可動領域を調べて別紙(一)上・下肢等関節角度測定表の結果を得たが、その結果は、他動測定によると原告が痛がって力を入れ上肢・下肢を動かさないので、原則として自動測定によるものであり、左膝関節のみ椅子に腰かけたり、ベッドに上がったときには、ほぼ直角に曲がって動いていたのに自動測定では八〇度しか動かさなかったので他動測定を実施することとし、一〇〇度の結果を得たものであった。その後、吉田事務官らは、大橋医師に面接し事情を聴取したところ、同医師は、右診断書の内容は、原告が高齢であり原告の今後のことを考慮して証明したにすぎず、特に右診断書中<3>(オ)の各関節の自動的な運動範囲については、原告において診察中は力を入れて各関節を動かさなかったが、雑談中には正常に動いていた旨、そして、膝・肘の挫創で原告が訴えるような障害が残存することは、医学的にみて考えられず、むしろリウマチ検査がプラスであることを考慮すると、原告の所訴は、外傷よりもリウマチに起因するものと思料する方が妥当かもしれない旨のことを、吉田事務官らに対し、大略説明した(なお、同医師の証言によれば、<3>(イ)の右拇示指間の距離制限に関しても、同医師は、診断書作成当時から、診断書の記載はほとんどデータともいえないぐらいのものであると思っていたことが明らかである。)。そこで、吉田事務官らは、被告に対し、右調査結果を復命し、これを受けて被告は、原告に対し、昭和五六年七月二四日、原告の左膝と右肘の局部に左膝部及び右肘部各挫創後遺症による神経症状を残すものとして、障害等級一四級九号(併合)の障害補償給付を支給する旨の本件処分をなした。
(四) 原告は、本件処分を不服として、前記一認定のとおり、不服申立をしたところ、大阪労働者災害補償保険審査官は、原告の残存障害の有無、程度についての鑑定を河村病院医師河村禎視に求め、これに応じて原告を診察した同医師は、原告から(ア)歩行時左下肢がもつれる。(イ)右肘から右手にかけてしびれがある。ふるえて字が書きにくい。(ウ)右手がやせている。右手を胸におくとしびれて寝られない。(エ)両下肢がしびれる。左手もよく物を落とす。(オ)軽作業もできない。働きたいが働けないなどと訴えられたが、鑑定所見として、「(ア)右手拇指球部に筋萎縮を認めるほか、両上肢、両下肢に筋萎縮、変形などはない。(イ)上腕二、三頭筋、腕橈骨筋、橈骨、膝蓋腱の各反射は両側いずれも正常。アキレス腱反射両側減弱、ホフマン反射、バビンスキー反射いずれも陰性。(ウ)知覚。検査を上半身から行うと顔面、頭部を含め右半身すべてに触覚鈍麻を訴えるが、下半身から再検時には大腿部から腹部では左半身に触・痛覚鈍麻ありと訴え、検査部位をアトランダムに行うと訴えが度々変わる。皮膚知覚図にも一致せず、作為的と判断される。(エ)左膝関節運動検査時には左手を副えてわずかの自動運動しか行わず、他動領域を測定しようとすると意識的に抵抗を加える。衣服着脱時の運動は概ね正常、右示指も検査時屈曲しない。関節に拘縮もなく腱損傷や神経障害を疑わせる所見もない。(オ)レ線所見。右肘、左膝関節に著見なし。」とし、障害等級について、「原告の訴えと原傷病名(左膝部及び右肘部挫創後遺症)との間に医学的因果関係を求めることは困難で、他の因子が大きく関与しているものと考える。従って、本件処分庁の認定は妥当と認められる。」と鑑定した。
(五) また、原告は、当審において、右肘は無理して曲げると痛い、右手は拇指球に削痩があり、右手指は左手で押えないと曲がらない、右手は夏でも冷気にあたると冷くなるので常に軍手を着装している、左膝は思うように曲がらず正座もあぐらをかけないなどと供述する。そこで、当裁判所において鑑定を採用したところ、原告は、鑑定人大石昇平に対しても、その検診時において主に「(ア)右肘から手指(五本)にかけて痛み、指先がしびれている。そのため夜寝るとき俯せで寝るが、両膝あたりが痛くなって眠れない。最近医者から睡眠薬を貰うことも多い。(イ)両足部がしびれがきれたような感じ常にしているので歩きにくい。(ウ)両足にズック靴を履いて歩くが、両踵から頭にひびいて苦しい。(エ)口の中がしびれたような感じがする。(オ)右手は外気にふれると冷くなるので、いつも右手に手袋をはめ、左手にステッキをもって歩いている。」と訴えたが、同鑑定人は、右検診の結果、原告の現症は、「(ア)上肢については、肩及び肘関節は両側とも自他動ともに可動制限を認めない。手関節については自動的には右側は背屈掌屈とも軽度の制限を認めるが、他動的には可動制限を認めない。右手指については、鑑定書添付写真5ないし7に見られるごとく、右全指の開排が健側と比較してわずかに制限され、また、第三ないし五指のPIP(近位指節間関節)及びDIP(遠位指節間関節)の伸展が軽度制限される。右示指に関しては、屈曲時、PIP及びDIPの軽度の制限がそれぞれ認められるものの、これに自動的可動範囲で、他動的には、痛みのためか原告は抵抗するが、伸展屈曲ともほぼ健側と同様の可動範囲がある。(イ)下肢については、各関節の可動制限は認められず、可動域は自他動とも両側正常範囲にある。(ウ)皮膚知覚検査において、右上肢において肘関節以下、右下肢全体、左大腿部に表在知覚の軽度の鈍麻が認められる。(エ)上肢、下肢の周径は、左右において有意差がなく、各諸検査の結果もほぼ正常。レ線写真所見は、肘関節、手関節、手指及び膝関節につき左右を比較して異常なし。但し、頚椎の一部に著明な骨棘形成、椎間の狭少化と突出、胸椎下部から腰椎全体にかけて著明な変形性背椎症様変化が認められる。」とし、これにもとづき「(ア)上肢、下肢の関節運動範囲についての機能障害の存否に関しては、右現症(ア)(イ)のとおりである。右尺骨神経領域の知覚異常や運動不全麻痺の症状が確認されたが、これが肘トンネル症候群に起因するのか、右現症(エ)記載の頚椎下部の変形に起因するのかは、不明である。正座が不可能であると訴えるが、左膝には視診上腫張その他の変形は認められず、引き出し現象、X脚、O脚テストにおいて異常なく、レ線上も異常ない。但し腰部から両下肢、両足底に知覚異常、痛みがみられるが、これは変形性背椎症による症状と考えられる。(イ)残存障害と本件事故との因果関係については、原告に見られるような頚椎下部及び腰椎部の変形が、通常原告(大正五年一月一一日生)と同程度の年令の男性によく見受けられるものであるので、本件事故前後の同一条件のレ線写真の対比がなされないかぎり、本件事故に起因するものとは断言できない。(ウ)仮に右因果関係が肯定されるとした場合、原告の右上肢における残存障害の程度に関しては、右尺骨神経領域の知覚障害のほか、手袋をはずし手を外気にさらすと皮膚が一時蒼白になり冷く感じるレイノー現象の存在することも考慮すると、準用等級として一三級七号が相当である(但し、卓上においたマッチ棒、一〇円銅貨などの右拇示指によるつまみ動作、第四、五指間に紙片をはさんでこれを把持する動作は可能である。)。両下肢については、痛みが残っていることがうかがわれるものの、これを証明するに足る臨床所見が見当らず、結局一四級九号が相当である(検察時において、原告が廊下を歩く姿を本人に気づかれないよう観察しても、その歩容は全く正常である)。(エ)なお、災害神経症などとの鑑別のため、CMI検査を実施したが、その結果は、心理的正常と判定してさしつかえない領域(領域Ⅱ)であった。」旨鑑定している。
三 そこで、右認定事実に照らし、原告の症状が固定して治ゆしたものと判断してなされた本件処分当時の原告の残存障害の有無及びその程度について、検討することとする。
1 機能障害について
(一) 右上肢
結論として、右示指を除き、右手指及び右肘関節には機能障害はなく、また、右拇示間の距離制限及び右示指の関節の機能障害は軽度の範囲において存したものと認められるものの、障害等級において一一級七号は勿論、一三級七号の程度にまでも至っていなかったものと認定するのが相当である。
一般に、機能障害の有無、程度を判断するにあたっては、機能障害の原因が明確でその機能障害に作為が入り込む余地がない場合には、心因反応性の痛みにより機能が阻害されているときも含めて自動測定の結果を採用できるが、機能障害の原因が不明確でその機能障害に作為が疑われるような場合には他動測定の結果を勘案して判定することが許されるものというべきである。本件においては、前記認定事実によると、原告の場合、本件事故による右肘打撲に起因するトンネル症候群が疑われるものの、右手指及び右肘関節に機能障害があるとするには、その医学的根拠が必ずしも明確でないうえ、原告は、本件処分にあたり本件の調査担当官がなした上・下肢の関節角度の測定に際し、また主治医大橋医師が原告の症状固定判断時になした同様の測定に際し、いずれも力を入れて他動測定を拒んだため、自動測定によらざるを得なかったことがうかがわれ、審査請求の際の鑑定人河村医師の検診時には「他動領域を測定しようとすると意識的に抵抗を加える。」とまで指摘されているのである。これに加えて、雑談中には原告の各関節は正常に動いていた旨の大橋医師の吉田事務官らに対する説明、衣服着脱時の運動は概ね正常である旨の河村医師の鑑定所見、鑑定人大石の鑑定の結果中鑑定時現症に関する部分(前記二4(五)現症(ア))を考慮すると、本件処分当時、右示指を除き原告の右手指及び右肘関節には機能障害がなかったものと認めるのが相当である。
しかしながら、右示指に関しては、前記認定事実によると、大橋医師の診断当時から原告には、拇指の開排運動などに影響を及ぼすと思われる右手拇指球に削痩があったものと認められること、鑑定人大石の鑑定の結果によれば、右拇示指の開排が健側と比較してわずかに制限され(同鑑定別添写真56)、屈曲時右示指の遠位指節間関節及び近位指節間関節に軽度ながらも制限が存し、右制限は、他の手指に比較すると特徴的である(同写真7)と自動測定の結果認められること、また、同鑑定結果によっても、他動測定では右各制限は存しないが、右自動測定の結果による制限は、測定の際、原告が意識的に抵抗したことによるものではなく、原告が真実痛がって抵抗したことによるものと認められることなどを総合考慮すると、原告には、本件処分当時から、本件事故による神経症状のため右拇示間の距離制限及び右示指の関節の機能障害が軽度の範囲において存したものと推認するのが相当であるが、その程度は、鑑定人大石の鑑定の結果の趣旨、とくに前記各写真によれば、(ア)原告の右示指の中手指節関節及び近位指節間関節の運動可能領域は健側の左手指の各関節のそれと対比して、障害等級一一級七号にいう「一手の示指の用を廃したもの」に該当する程度まで制限されていたものとまでは到底認められず、また、(イ)右示指の遠位指節間関節も屈伸できていたことが明らかで、障害等級一三級七号にいう「一手の示指の末関節を屈伸することができなくなったもの」に該当するとはいえず、(ウ)右拇示指間の距離制限については、原告の拇指の中手指節関節に、「手指の用を廃したもの」或いは「末関節を屈伸することができないもの」という指節間関節の運動障害と同視できる程度の運動障害が存したものとまでは認められない。
(二) 左下肢
前記認定事実によると、原告の左膝関節については、本件の調査担当官らの他動測定の結果(別紙(一))によっても、健側の四分の三以上が運動可能領域であったとされているうえ、鑑定人大石も、原告の下肢の各関節の可動制限は自他動ともに認められず、原告が廊下を歩くのを気づかれずに観察しても歩容は全く正常である旨述べており(前記二4(五))、これらの事実を考え合わせると、本件処分当時、原告の左下肢に機能障害は存しなかったと認めるほかはない。
2 神経症状について
原告が、本件処分当時、主訴として腰部から下の左足の常時疼痛並びに肘関節以下の右手及び薬指を除く右手指の常時しびれの症状を訴えていたことは、当事者間に争いがない。
そして、鑑定人大石の鑑定の結果によれば、前記のとおり、原告の頚椎から腰椎にかけ椎体に変形のあることが認められ、また、右上肢にトンネル症候群の疑いが否定できないとされていることに照らすと、原告の右主訴は、医学的根拠に全くもとづかないところのたんなる愁訴とみることはできないものと考えられる。
そこで、原告の訴える神経症状の程度について考察するに、障害等級一二級一二号にいう「局所にがん固な神経症状を残すもの。」とは、患部にがん固な疼痛又は知覚異常を残し、日常生活に重大な影響を及ぼす等いわゆる外傷の後遺症で強度なものがある場合を指すものと解され、そして、一三級には、原告の右神経症状につき準用を相当とする規定は存しないと解すべきであるから、一四級九号の「局所に神経症状を残すもの。」とは、それまでに至らない場合を指すものと解されるところ、原告は、前記二3認定のとおり、本件事故後も約三週間の間従来どおりの警備業務についており、また、症状固定時には大橋医師から、日常生活には自用を弁ずる、書字・執箸可能と診断され、河村医師からも、衣服着脱時の運動は概ね正常である旨、鑑定人大石からも、正座が困難であることを裏付ける異常所見がなく、歩容も正常、マッチ棒などの右拇示指によるつまみ動作なども可能である旨各鑑定されていることに照らすと、原告に日常生活に重大な影響を及ぼす等の強度の神経症状が残存していたことを推認することは、到底できないものと考えられる。これに反する原告本人の尋問の結果は採用できない。
従って、原告に本件処分当時残存していた神経症状の程度は、障害等級一四級九号に該当する程度のものと認めるのが相当である。そして、以上によれば、原告には、左下肢と右手指(但し薬指を除く。)を含む右前腕部以下の二箇所に労働者災害補償保険法施行規則一四条二項により併合さるべき右等級該当の神経症状が存することとなり、かつ右前腕部以下の神経症状に伴う前記三1(一)の機能障害が存することが明らかであるが、その機能障害の等級は右等級よりも上位とはいえないので、結局、以上を総合しても原告の残存障害等級一四級九号に該当するものというべきである。
なお、鑑定人大石の鑑定の結果によれば、同人の鑑定の際、原告の右手にレイノー現象の見られることが認められ、右現象が本件処分において考慮されていないことは弁論の全趣旨により明らかであるが、本件処分当時既に右現象が発現していたかは本件証拠上明らかでなく、かえって、前記大橋医師の診断書及び河村医師の鑑定書にはこの点に関する何らの記述がないことを考慮すると、本件処分当時には、未だ右現象は発現していなかったものと認めるのが相当である。そうすると、本件処分において右現象が考慮されていないことをもって、本件処分を違法とすることはできないものというべきである。
3 以上によれば、結局、本件処分に原告主張の違法がないこととなる。
四 よって、原告の本訴請求は理由がないことからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉本昭一 裁判官 波床昌則 裁判官水谷博之は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官 杉本昭一)